2013年4月3日水曜日

被災地


被災地、被災者。
なぜ?被害に…。

無常感。

僕の状況とは違う事は重々承知で
比べる自体間違いなのかもしれませんが…。

非常にダブル事がありまして。

僕も怪我を負った際にとてつもない無常感と言うより
悲壮感に苛まれました。

もうどうしようもない。と…。
投げやりにも、自暴時期も当然ありました。
徐々に落ち着き始めてから無常感が顔を覗かせて来ました。

よく人は言います。
時間が解決すると。
確かに間違いではありませんが、嫌いな言葉です。
結果だけを見れば、時間が経過したから痛み(心も身体も)は和らぎます。
でも、そこまで行くのにはとてつもない苦しみがあるのです。

その辺を分かった上で言う分にはいいのですが、余りにも端的に時間が…
と言う言葉に非常に違和感を覚えます。

悩み、痛みは他人から見れば小さい事かもしれませんが
本人には重要且つ、重大な事です。

よりそう事をせずに端的な言葉は逆効果の場合があります。

そう、どこかのお坊さんが仰っていました。
寄り添う事だ。と…。

ちょっと話が逸れました。

僕が被災地への募金を毎月欠かさず行えるか?
当然、資金は必要です。
募金をする事で、借金などをするのは如何な事かと…。
幸い、仕事に恵まれ無理の無い範囲で募金できています。

とは言うものの、僕個人が毎月僅かな金額を募金したところでどうにかなる事ではありません。
承知の上です。

僕自身の気持ちの上で満足できるかです。
被災地支援(ボランティア活動)も考えましたが、仕事と競技があるので敬遠しました。

出来る範囲で出来る事を行うのが重要ではないかと…。

上手く書けずに、つらつらと書いています。

僕が言いたいのは、
ここ最近ようやく思えるようになった事が…。

障害者になってよかった。と、思える事です。
理由は様々ですが、今回の東日本大震災に関しての
僕自身の気持ちの変化。

競技でも、パラリンピック出場の夢は叶いませんでしたが
挑戦出来る喜び。
そこへ行くまでの人間としての成長過程。

きっと、障害を負わなければ気が付かない事だと痛感してます。

確かに不自由で大変ですが、でも良かったと思います。

前記しましたが、今回の東日本大震災の被災された方々と比べるのは失礼でしょうが
被災されて良かったって、思えるようになって欲しいな~と。

例えば、被災地支援で著名人に会えるとか…
人生観が変わったとか…
出会いがあったとか…

大変な犠牲の上であることは重々承知です。

ちょっと無責任な発言かもしれませんが…。

僕が障害を負って良かった思えたように
きっと、被災者の方々もそう思える日が来ると思います。

言葉に上手く出来ませんが、本当に被災地(者)の方々には
どのような形でもいいので、幸せになって欲しいと心から願います。

0 件のコメント:

コメントを投稿