2017年11月25日土曜日

歴史的日

歴史的日になる出来事だと思います。
11/21—24の日程でAGITOS財団の方がドイツからラオスに来ました。
LPC
の抜本的改革です。※LPC(ラオスパラリンピック委員会)

LPCを国際スタンダードに合わせる機会に恵まれました。
ここが機能しないとパラリンピック出場もままなりません。
逆を言えば、パラリンピック出場に向け一歩前進したとも言えます。

AGITOS財団主催のワークショップ
NPC(各国パラリンピック委員会)の重要性など
我々の陸上競技も視察があり、選手の頑張りや才能、B標準をクリアしたことなどを伝え東京パラへ一人でも多く出場させラオス人はここまで出来るんだ!と世界にアピールしたいんだ!!と熱く伝えました。
AGITOS
さん曰く、しっかり練習していてコーチも素晴らしいと…(おー!僕のことね…)笑。

昨晩(24日)の深夜便にて仁川経由で帰りました。
それまでのフライト時間までADDP関係者と一緒に食事に呼んで頂き、いつもの癖で僕が普段から抱いている想いや哲学をAGITOSさんに熱く語ってしまいました。笑
(なんと通訳をADDP代表者にお願いするという暴挙…)

ここでも、想いは伝わるようでAGITOSさんもやはり障害当事者の言葉には重みがあると。(ADDP関係者も言ってくださいました)
最近は、徐々に障害当事者が重要ポストに付いてきているのが世界的な流れだとも言っていました。

それ以外にも様々な方面に話がはずみ、非常に有意義な時間でした。

ここでもAGITOSさんは、ラオスは素晴らしい国でご飯も美味しいとも言ってくださり、また一人ラオスファンが増えたかもしれません、笑。


AGITOSさんのフォローアップを受けてラオスが国際スタンダードに乗り、一人でも多くの選手が恩恵を受けられることを願います。

本日もご覧いただきありがとうございます。

多謝、羽根。

2017年11月18日土曜日

別れ

愛犬(ハル)の死(ミニチュアダックス♂)
11月16日9:00PM(ラオス時間)享年13歳8ヶ月
脾臓癌、肺、肝臓まで転移
腫瘍が握りこぶし程度が2つ・・・

怪我してからの付き合いでした。

最後も見届けることが出来ず辛さも倍増です。

手術してたった1日の命でしたが、全て手を尽くしました。
本当に残念で残念でしかたありません。
ですが、どんなに嘆いてもハルは戻ってきません。

命について子供、孫たちへ何か伝えてくれたような気がします。
そこを上手く伝えるのが僕の使命かな…と。

ちゃんと食事・睡眠は取れていて元気です。
まだ、涙も残っていました。

3年位前の写真かなー?

こうして書くことで、思い出を思い出して思い出しています。
思い出せないくらい思い出したいです。
無理に思い出を封じ込めようなんてしません。

すみません、暗い内容で。
こうして文章にすることで気が少し楽になります。



ご覧いただきありがとうございます。
多謝、羽根。

2017年11月11日土曜日

告知

鬼が笑うかもしれませんが、来年のお話を…
3月なので、鬼も笑わないでくれるかもしれません、笑。

ラオス参加します!!

パラ駅伝inTOKYO
↓ 昨年の実施分 ↓
https://www.parasapo.tokyo/paraekiden/outline/

ラオスチームが参加できるように交渉してくださった方の努力が実りました。
初の国外チーム(国)の参加で、ラオスが選ばれました。
ラオスチーム(国)が「初」なんてなんと光栄なことでしょう!!
東京(駒沢)でラオスチーム(国)の選手が走ります!!

今のところ、僕が総監督を務めることになっています。(おお!)

徐々に選手選考を始め、セレクションや強化練習の計画を始めています。
選考などに関しては、作戦上秘密裏に進めていきます、笑。

先日のラオス人の東京研修(本邦研修)の際にJALさんから往復航空券の進呈もありました。

JAL コミュニケーション本部 
東京2020オリンピック・パラリンピック推進部 
総括マネージャーの阿川さまより、
ラオス教育スポーツ省事務次官のラッタサイ氏へ
往復航空券の贈呈。
写真右はパラ駅伝 大会実行委員長の八代英太さん


大会自体は、障害者・健常者も関係なくインクルーシブにみんな一緒に楽しく走ろうといった趣旨です。(詳しくは大会情報をご覧ください)
参加条件もあり、日本ではさほど厳しくはないのでしょうが、ラオスにしては厳しいものがあります。
第一にパスポートの問題ですね。
通常ですと該当者には取らせるのが普通ですが、この部分も日本にようにスムーズに行くかが非常に難しい問題です。
その辺の難しい問題も含めてが途上国の国外遠征なんですね。

何はともあれ、ラオスチーム(国)が日本に行ける機会を作ってくださり、お手伝いしてくださる方々に感謝です。
決して途上国は怠けている訳でも逃げている訳でもありません。
選手は一生懸命です。
ただ、前例がないので何も知らないのです。
その部分でサポートできる機会に恵まれたことがありがたい。

自分が不便や理不尽さを感じた部分を少しでもなくし良いものを伝え作ることができたら…

本日もご覧いただきありがとうございました。

多謝、羽根。

2017年11月4日土曜日

再開

いい季節を迎えたラオスです。
朝晩は(特に朝)半袖半ズボンだど寒さを感じ、日中も30℃くらいで湿度も低めで過ごし易いです。
日の入りも早くなり17時半を過ぎると薄暗くなり始めます。
(当然、当日の天候で左右されます)

アセアンパラ、マレーシアから一ヶ月強の休養を終え、11月1日から定期練習を再開しています。休養に入る前に、アセアンパラの反省会をした上で、なぜこれだけの休養が必要か?また、休養の目的なども伝え了承してもらいました。

ワークショップなどで休養の必要性などは伝えているのですが、なかなか理解していもらえない部分の一つでもありますので、何回も伝えていく必要があります。

定期練習開始の週は3日間で終了。
筋肉痛のある場所をヒアリングしながら、効果も伝えていきます。

我々が日常的に無意識で行っていることも、選手たちは伝えないとできません。
出来ないというより、そこまでの考えが及ばないと言った方がニュアンスは近いですね。
出来ない、知らないことについては決して恥ずかしいことではなく、それをそのままにすることの方が恥ずかしいことだとは選手に伝えています。

余談ですが、先日の出来事。。。
俺は外国人だ。
俺の希望に関わらず、練習を見れれない日が来るかもしれない。

例えば、病気や死んでしまう、コーチングの終了(強制的)など…

だから、お前たちは出来るだけ自分自身で考えて練習ができるようにして欲しいと。
お前たちが先行きは指導する立場になれるようにと。
すると選手から来れなくなるのはいつからだ? 誰が言った?!と。。。
だ・か・ら、、、それは例え話だって言ったでしょう!笑。

どうやらことの内容・方向性は理解してくれたようです。


アセアンパラ終了後、来なくなる選手もいるだろうなーと思っていましたが、アセアンパラに参加できなかった人も来てくれて、全員集合となり密かに嬉しがっていました。
(46クラスの選手は当初から大会後は自転車へ戻ると言っていた)

選手自身も、大会で得た反省がしっかり残っていて練習に対する姿勢もしっかりしています。
今まで鍛えていなかった部分の重要性を伝え、選手も理解してくてれいます。
まだ鍛えていない部分があるというのは伸びしろがまだある証拠です。
僕も一緒になって今まで鍛えていなかった部分の強化に着手しました。
伸び代に期待?! 笑。

なので、食事が難儀です、笑。
(腕を強化中、右腕しかなくそれを鍛えて筋肉痛で食事が難儀という意味)

脚も自転車でカバーしていたとはいえ、反発があるぶん非常にきついです。
千葉マスターズでの中足骨痛症などもあり、約3ヶ月間の個人練習中断です。
まあ、僕の残りの競技人生なんて残りの人生の付録みたいなものなんで、そこは上手く折り合いをつけていこうと考えています。

色々な面でラオスは変革期を迎えているように思います。
我々は外国人。
いついなくなるかもわからない。
その時までに現地の人が困らないように道筋をしっかり固めておかないと。

全てはラオス人が全てを運営出来るようになることが望み。
個人的にラオスに残るか否かは別問題。


休養明けの全員集合
(46クラスの人は当初の予定通り自転車へ戻りました)

本日もご覧いただきありがとうございました。
多謝、羽根。