2016年6月2日木曜日

回想

雨期の天気が何処かにいってしまったような晴天が続いています。
蒸し暑さもあり気温は35℃だとだいぶ厳しい暑さに感じます。

7月31日 千葉マスターズ選手権に出場しようと思います。
種目は、100m、走り幅跳び。
長崎全国障害者スポーツ大会でグタグタな記録で終わってそのままフェードアウトしてしまったので、落とし前(ケジメ)をつける意味合いも含めての種目選択。

目標記録
100m 15"48(+1.0)
走り幅跳び 4m12cm(14歩)
2014年長崎全国障害者スポーツ大会での結果。
この大会を最後に試合から遠ざかる。

このころから多発性筋炎・肺炎を発病していたと思われる。
走るにしろ跳ぶにしろ力が入らない。

食事も噛む力が衰え、少し固いものは噛み砕くことが困難になって1時間程度も食事に要していた。(リンゴの丸かじりが出来ないなど…)

ただ、痛みもダルさも特に感じられなかったのでさほど気にならなかった。
その後、会社の健康診断で要再検査項目から本格的に検査して、ようやく(2ヶ月間程度)病名が判明する。

よくマチュピチュへ行けたなーと今振り返るとつくづく思う。
高山病で苦しんだこと、ワイナピチュ登山が異常にキツかったことが、思い出されます。(多発性筋炎・肺炎が関係していたかは不明)

その後は、3ヶ月間の入院生活をおくり緩解に至る。

入院中は同じような病気の人が沢山いることに驚く。(女性が7-3程度で多かった)
話を聞くと、長期入院を余儀なくされているらしい。
国の難病指定だけあり、それぞれに治療、投薬が違い効果も異なる。
運良く、僕は自分に合った治療、投薬がみつかり退院に至る。

退院後、体力・筋力の低下に驚愕する。
退院後、散歩から開始して徐々に体力を戻す作業(リハビリ)には本当に苦労した。
筋肉(力)を使うと、検査数値(CPK値やCK値と言う)が上昇し再入院もあり得る。

Dr.にお願いして、毎週検査してもらいリハビリの量を探っていった。
目的は、競技復帰なので現状維持ではなく向上のため。

なんとかペースを掴め、紆余曲折ありながら2015年11月にラオスへ赴任する。

ラオスへ赴任後直ぐに強化練習に加わる。
居住地から片道5km離れている競技場へ1日2回、3週間、週5日間自転車で通った。
競技場の往復だけで相当な運動量で体重も落ち気味になり、キツかった時期でもある。
強化練習中は自分の練習は封印せざる得ない状況。
結果的には、キツかったがこの自転車での往復が非常に効果的であったと思われる。

その後、2月から代表選手への定期練習を提供出来るシステムが整う。
週3日間ではあるが、大きな一歩である。
そのなかで、自分も選手と一緒に走ったり補強を行う。

順調に進んでいたが、自転車で事故をもらう。
2週間程度痛みが取れず自分の練習は出来ず、また、帰国などとも重なり約1ヶ月間程度、自分の練習から遠ざかる。

その後、自分の練習を再開出来て先日は1年ぶり以上でスパイクを履けた。
思った以上に走れて、違和感もない。
翌日も筋肉痛に悩まされることもなく、なんとなく手応えを掴む。

すると、競技復帰が急激に頭に浮かんできた。
以前から、帰国のメドは大まかに組んでいて障害者大会、マスターズ大会の予定もスケジュールには組み込んではいた。

タイミングが合うのは7月31日しかない。
本当は9月頃を想定していたが、帰国と合わない。
少し時間が足りないと思えたが、よくよく考えた。

この不安はきっと9月でも思う不安だろうな!と。
確かに7月より9月の方が練習も積めるし自信も深まるだろう。
でも、タイミングが合わないとなると試合だけで帰国する訳にはいかない。
ましてや、事件事故に再度見舞われる可能性も否定出来ない。

元障害者日本記録保持者、千葉県マスターズ記録保持者のプライドもある。
でも、そんなもんどうでもいい。
屁みたいなもんだ。

難病指定の膠原病、多発性筋炎、肺炎を緩解させて競技復帰のほうが魅力的だろ!
多少でも、同じような境遇の方々への励みになれば、こんなに嬉しいことはない。

長崎での記録以下になるかもしれない。
そうなると落とし前を付けたことにはならないという考えもあるだろう。
だが、新たにスタートラインに付いたことが重要なことで、落とし前を付けたことになると自分は思う。

当然、出るからには目標記録を上回り、もっと速く、もっと遠くへと強く思う。

大会へ出ようと思える心境になったこと。
ようやくここまで来れたことを誇りに思う。

ほんの少しだけ自分を褒めてもいいかな?と思う今日この頃です。

本日もご覧頂き、ありがとうございました。
多謝、羽根。

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