2018年1月27日土曜日

家族


愛犬(ハル)が亡くなって2ヶ月以上経った。
最後を看取ることが出来ず実感が沸かないままでの帰国。


いつも、家の周辺に近づくと姿は見えないのだが必ず吠える。
今回は静かだ。
家に入っても静けさは変わらない。
最後のドアを開けても景色は変わっていなく、ゲージにいるような錯覚。
寝床から出てくるイメージしか沸かない。


必ず行く視線。
そこには生前と変わらぬ配置。
子供たちも踏ん切りがつかなかったようだ。


何かにつけて声を掛けていた。
未だに声を掛けている。
気のせいだろうが、その声に反応するような音が聞こえる。
決して姿も見えず、声も聞こえないが…。

孫は、僕が声を掛けると、もう天国に行っているからここにはいないんだよー!って答える。
健気で可愛い。


全て処分した。
子供や孫は初めて家族を亡くした辛さ・寂しさ。
何日過ぎたから片付けないとダメだよとか、その他諸々の声も聞こえそうだが、
「それがどうした!」。
弔う気持ちが大事。
確かに節目・ケジメは大事なのは重々承知である。


日課の散歩はもう行っていない。
車で散歩コースを通ると切なさがこみ上げてくる。


今回の帰国でハルに会えた。
ハルも同じだと思う。
これで、ケジメだ。
そう、ケジメ。


決して忘れることではなくケジメ。




子供たちが思い付くようにしました。


本日もご覧いただきありがとうございました。
多謝、羽根。

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