先日、専門種目である三段跳びを跳ぶことが出来た。
2014年9月19日 岩手県北上市で開催のアジアマスターズ選手権兼全日本マスターズ選手権、10m12cm(予選落ち)以来の三段跳び、なので2年4ヶ月ぶりの三段跳びであった。
昨年(2016年)、100mと走り幅跳びでは、2014年の全国障害者スポーツ大会@長崎での自己最低記録での初黒星を記録上でだがリベンジ出来た。リベンジするのは当然準備が必要なことはご承知だと思う。幸いなことに、ここラオスへ来て陸上どっぷりの生活が出来ている。優先すべきは言わずとも選手第一である。とは言え、自分自身も向上したい意欲もある。考えながら、お互いがより良い状況下でトレーニング出来る環境を整えてきた。確かに、選手の強化・指導は最大のミッションであるが、どちらかに偏りすぎると、どこかで行き詰まる気がする。ようは、WIN-WINが理想である。
少し前置きが長くなりました。
三段跳びを練習ではあるが跳べて、跳んだ内容も想定よりもよく、記録も非公認であるが10m12cmを上回ることが出来た。そこで、こちらで身体を作っている時期や、100m・幅でリベンジ出来たあとに思っていたことが一層真実味を帯びてきた。
難病の多発性筋炎が発症する前(どの程度前かは定かではない)の練習では、長い距離を走るのを回避していた。正当なそれらしい理由を付けて。長い距離とは200mー400mである。跳躍選手にそのような距離を走る必要はないと理由付けをして自分を納得させていた。それは、病気を発症し始めていて身体が拒否反応を示したいたと思われる。過去を振り返えると、記録の下降と共に長い距離もそうだが走ることが極端に少なくなった。繰り返すが、走らないではなく走れないのであったのだ。当然、病気のことなど露ほどにも思ってなく、病気が発症した時は青天の霹靂であったのは言うまでもない。
色々と書いたが、要はこれが解明できたところでなんの利益もないのですが、辻褄が合うということは霧が晴れたような爽快感がある。これが良いか悪いかはそれぞれでしょうが、この瞬間というか、徐々に晴れていって一気に雲の上に出る…みたいな…。そう、飛行機で下界は雨で徐々に高度を上げて途中、大きく揺れたりしながら徐々に明るくなり雲のないところへ出た瞬間の爽快感に近いですね。これを自身で体験出来るということは非常にありがたいことです。飛行機での出来事は他力本願ですが、自身のことは自身なので晴れたときの爽快感は結構大きいです。
僕の好きな言葉の一つに”全ての出来事には意味がある”があるのですが、今回の三段跳びを跳べて過去の出来事が紐付けされて、クリアになったことは他人には解らないと思いますが、個人的は非常にインパクトの強い出来事の一つでした。
何か今までと違うというときは、何らかの異変が起きている可能性が強いですね。とは言え、何をどう疑うのかは永遠の謎なのかも知れませんが…。
そして、現在出来ることを行っているとどこかで何かが紐付き、解明出来るかもしれません。
それがどうした?と言われれば単なる自己満足です!としか言えませんが、それが出来る立場にいてそれを実行する自分が好きです。
写真は三段跳びの練習用に購入したスパイク。 練習用だと勿体無いと思うほどいい感じ。 |
本日も長文ご覧いただきありがとうございます。
多謝、羽根。
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