好きな考え方をすこし…。
古代インドでは人生を4つの時期に区切るといいます。
人生80年だと、20年ずつ4つに分けららます。100年ですと25年ずつ。
「学生期」(がくしょうき) 0~20(25)
「家住期」(かじゅうき) 20(25)~40(50)
「林住期」(りんじゅうき)40(50)~60(75)
「遊行期」(ゆぎょうき) 60(75)~80(100)
この考え方が非常に好きです。
「学生期」で学び、「家住期」働き、家庭をつくり、子供を育てたあとに、人生のクライマックス「林住期」を迎えると言われています。全てを一段落して(させて)、自由に出来る期間が林住期ではないでしょうか?まさに、今の自分に当てはまる気がします。
作家の五木寛之さんは著書の「林住期」の中で言っています。
「林住期」という第三の人生を心ゆくまで生きるのが人間らしい生き方なのだから。
日本人はまじめに考えすぎる。
「林住期」に何かを始めるのは「必要」だから始めるのではない。始めるきっかけは、「必要」ではなく「興味」だ、と…。
そして「遊行期」は、人生で得たすべてを放棄して、死を迎える瞬間まで放浪する期間。だと…
よく言われることの一つに好きな事ができて羨ましいと…。
そうです、僕の場合はこれが宿命だったと思うのです。
今までの人生を逆算すると、全ては今現在のために起こった出来事だと思います。(良いこと悪いこと含めて)
何か一つでも過不足があれば現在はなかったと思います。
縁も運も当然あったでしょう、それも全て含めて宿命ではないでしょうか。
色々とご意見はあるでしょうが、クライマックスの林住期が今の僕のような気がします。
今後も、上手くいかない(出来ない)出来事もあるでしょうが、それはきっと運がなかったのだと思います。運があれば上手く行くし出来ると思っています。
完成させるべく宿命なら出来るだろうが、出来ないのであればそれはそれで仕方ないと考えています。
完成させるべく宿命なら出来るだろうが、出来ないのであればそれはそれで仕方ないと考えています。
こんなことを言うと、なんと投げやりで何も努力しないでと思われるかもしれませんが、全ては精一杯努力することは最低限の条件であることはみなさんは承知済みとの前提です。
当然、苦しいときも辛い時もあるが全ては栄養にになる。
ただ、その答えが分かる(出る)までの期間が長いこと長いこと…
まだまだ、遊行期のことは考えていません(考えられません)が、どこへ向かうのでしょうか?
非常に楽しみです。
人生に無意味なことは何一つない。
本日も、長文ご覧いただきありがとうございました。
多謝、羽根。
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