ラオス代表パラ陸上選手強化支援中/自身も身体障害者陸上(T 46クラス)・マスターズで活躍中。 三段跳・走幅跳 陸上競技者。 難病指定でもある膠原病(多発性筋炎)を寛解し陸上競技を継続中。
2013年2月14日木曜日
理不尽
意味もなく単独行動をしようか?
アスリートなので甘い物は控えていると予防線を張ろうか?
と勝手な妄想中の2月14日です。
さて、話題はガラリと変わり…
いつからだろう…。
このような、理不尽、不条理な出来事に対して
心からいたたまれない心情になるのは。
恥ずかしい話だが、以前の僕は出来事に対して
斜めと言うか、歪んだと言うか、おかしな感情が
一番に浮かんできていた。
例えば…
外国で事故、事件などに巻き込まれると
「そんな所に行っているからだ…」
「たいしたことないだろう…」
「自業自得だ…」
とか…etc…。
恥かしい話(事)であるが事実である。
ここを隠すと前に進めない気がする。
振り返ってみると、東日本大震災がきっかけのような気がする。
あの出来事以降、我が身に置き換わる。
無理にしているのではなく自然に置き換わる。
自分が一番ビックリしている。
何故?だろう…?
自分自身が本当に分からない。
それ以降、第一に無常観が浮かんでくる。
最近よく本を読むようになったのだが
日航機墜落事故で、子供(孫)かは忘れたが
一人旅を進めて、その事故機に乗った。とか…
人種の問題だけで集団虐殺が行われたりだとか…。
そのような理不尽、不条理と言わざる得ないような出来事を
よく聞いたり、読んだりする。
残された者、残ってしまった者、
行ってしまった者、行かざる得なかった者…。
どこでどう違ったのだろう?
何が違ったので立場が違うのだろう…?
来月11日で東日本大震災発生から2年。
毎月、欠かさず寄付出来ている。
僅かな金額であるが…。
また、いつまで寄付が出来るかも定かではないが…。
その時出来る最大限の事を行う。
この事に気付かせてくれた気がする。
様々な事件、事故、出来事を決して容認している事とは違う。
起こった事として諦める事でもない。
上手く表現できない事がとても残念である。
事実を認め受け入れる。
そして、自分なりの解釈として咀嚼し飲み込む。
僕が障害者になったのにも理由があるように
きっとこの心境の変化も理由があるのだろうと…。
とは言うものの、理由がないといけないという事でもないと思います。
理由がない事も理由で、理由があることも理由ではないかと…。
本当に自分は生まれ変わった気がしてなりません。
とは言うものの、偏屈さは相変わらず残っていますが…。(- .-)ノ”
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