寒さの厳しい日が続いております。
最強寒気が来ているようで、積雪の多い地域は心配です。
改めて、自然災害の少ない地域に住んでいられることに感謝です。
表題ですが…視野。
知り合いの方と久々にじっくり話す機会に恵まれました。
僕は褒められて伸びるタイプと過去数回書いています。
その中で、視野の広さ、行動力を感心されました。
自分でも感じてはいましたが、改めて言われると実感します。
この辺の感性は怪我をしてから磨きがかかりました。
視野の広さについては…
受傷後、片腕生活を余儀なくされました。
それを踏まえたうえで、仕事、競技を行う決心をし実行に移しました。
当然、制限があります。
制限をどのように克服するかが重要です。
出来る事、出来ない事は当然あり、そこを見極めることも重要です。
一人で全て出来ないとダメなんです。
手助けがあり仕事をする。
自宅や、手助けが常にある状態なら一人で完結できなくても問題はないでしょうが、僕は外に出ることを選択しました。
なので、手助けで外に出るとその状態が変わった時が困る訳です。
例えば、着替えが必要な時など…
初めのうちは時間がかかりイライラも当然ありますが、繰り返すことで徐々に上達していきます。
それ以外で、靴ひもを結ぶということは不可能です。
なので、マジックテープタイプの靴を選ぶということになり実践していましたが、種類が少なかったり、生産中止とになったりしました。
必要に迫られてですが、靴ひもタイプが欲しくなり考えました。
すると縛らずに締めることが出来る道具を発見できました。
また、競技の面ですが…
当然片腕で、健常者に挑む訳ですので、同じことは出来ません。
出来ない事をどう補うか?
左腕が使えないので、それをどうカバーするのか?
年齢もあります。
障害者同士ならみんな似たり寄ったりの環境です。
だた、圧倒的な年齢のハンデがありました。
ここをどう埋めるか?
その辺を考えてると一面だけを考えていたのでは行き詰るんです。
多方面で、通常では思いつかない事が浮かんできます。
浮かんだら実行です。
だれも経験のないことなので、答えは当然ありません。
自分が切り開いて行く訳で、答えは自分のものですし、他人には当てはまりません。
そのようなことを実践していくことで、視野が広がってきたように思います。
行動力ですが、これも受傷後に向上した分野の一つです。
僕の怪我も、結構な重災害の一つで、よく命があったと思うような怪我でした。
そう、明日は保障されていないのです。
いくらお金を稼いでいても死んでしまえば使うことが出来ません。
良いことを考えていても死んでしまえば行動に移せません。
流行の言葉ではありませんが、今です。
当然、今、行って失敗当然あります。
でも、失敗しない事には前進がありません。
失敗せずに成功することもあることは否定はしません。
でも、人生の大半は失敗から得られることの方が大半ではないでしょうか?
そんなことを繰り返し行うことで現在の人間性、性格が形成されてきました。
きっと、健常者時代では経験できない分野かもしれません。
障害者になり失ったものは確実にあります。
ですが得たものの方が多いです。
失ったものは必然とも思います。
そう、障害者になりアジアへの活動も必然なんですね。
ちょっと長くなりましたが、そんなことを特に強く再認識した(出来た)今日この頃です。
ラオス代表パラ陸上選手強化支援中/自身も身体障害者陸上(T 46クラス)・マスターズで活躍中。 三段跳・走幅跳 陸上競技者。 難病指定でもある膠原病(多発性筋炎)を寛解し陸上競技を継続中。
2015年2月9日月曜日
2015年2月6日金曜日
ラオス 全スポ
雪予報も雨で終わり安堵している今日この頃です。
昨年の雪には難儀しました。
片手での除雪は結構きつい…
さて、本日はウドムサイですが…
ご存じない方が大半でしょうね
ラオス自体、あまりよく知られていないと思いますので…
ラオスの首都はヴィエンチャンです。
今回は、ベトナム航空でハノイ経由でヴィエンチャンに入りました。
ハノイから1時間程度、近いです。
ヴィエンチャンから国内線に乗り換えてウドムサイに、プロペラ機で1時間弱北へ向かいます。
だいぶ田舎です。
とは言え、ライフラインも完備されていて通常の生活は全く問題なし。
道路もだいぶ舗装されていました。
治安も問題なく、早朝の俳諧も不安なく行くことが出来ました。
ただ、朝晩の冷え込みが非常に強かった。
初日の朝は、一けた台の冷え込み。
日本で着ていたライトダウンが大活躍。
まさか東南アジアでダウンを着るとは思ってもみませんでした。
日中は30℃程度まで気温があがります。
盆地で標高700m程度なので、朝は霧が深いです。
10時頃から徐々にはれてきます。
夕焼けより、朝焼け派の僕には少し残念でした。
宿泊したゲストハウスは温水シャワーが今一つで、初日はだいぶ苦戦しましたが、朝食のパンが非常に美味しくて、シャワーの不具合は相殺に…。
今回のメインイベントの第2回ラオス全国障害者スポーツ大会。
14の県から、200人程のアスリートが集まりました。
車椅子バスケットボール、ペタンク、バドミントン、シッティングバレーボール、ゴールボール、卓球バレーボール、アキュラシーというフライングディスクのゲームなどデモンストレーション含めて、色々な競技種目がありました。
陸上競技はありませんでした。
良いグランド(サッカー場ですが)あるのにもったいないないなぁーと思ってました。
少し前に行われたラオスの健常者の国体は日本の国体に近かったようです。
なので、今後に十分期待できます。
この後は個人的な感想、意見ですので誤解のないようにお願いします。(うらも取っていません)
まず感じた事は、下肢障害者が多いのですが車いすユーザーが異常に少ないこと。
下肢障害者はポリオの方が多く見受けられました。
この辺はきっと国などの保証がないうえに、国内道路状況でバリアだらけでどんなにゆっくりでも歩けるなら、歩いた方が圧倒的に行動範囲が広いと思われます。
義足ユーザーは僕が見る限り2,3人程度。
(当然、生活用義足です)
上肢障害者は10人弱見受けられました。
切断者がほとんどで、義肢装着者は1人見受けられました。
視覚障害者の方は演目などを担当されていて、最前に立っている感じを受けました。
どの障害が最前かと言うことに関しては、日本の障害者スポーツ(陸上)でもあることで、車いす選手が好成績ならば車いす。
義足ユーザーが好成績なら義足。
視覚障害者が好成績なら視覚という方程式が成り立ちます。
上肢障害者はなかなか前面には出にくいです。
(パッと見で、健常者と区別がつきにくいため)
この辺は、様々な意見があるでしょうが、個人的な意見としてです。
話がそれましたので、話をラオスの全国障害者スポーツ大会に戻します。
大会自体は大変な盛り上がりをみせたと思います。
当然、日本の全国障害者スポーツ大会と比べれば雲泥の差があるのは否めません。
国内の移動手段、障害者の立場、スポーツ環境、当然日本と比べるには無理があります。
だから、悪いと言っているわけではなく、今後に向け課題をクリアしていくのを期待します。
大会運営などに関しては、僕の範囲を超えていますので専門家に任せます。
個人的には、ラオスを陸上大国までは難しいでしょうが、国際試合で決勝に残る選手や2020東京パラリンピックへ選手を送り込むことを目標としています。
その辺を逆算していくと、可能性が大きいのは視覚障害者と上肢障害者です。
車いす、義足に関しては、他の要素もだいぶ絡んできますので…。
とは言うものの、選手の発掘から必要です。
今回の大会参加で、選手のスカウトを2名ですが行いました。
上肢障害者です。
残念ながら、全ての面においてスカウト行為は出来ませんでした。
その辺を踏まえて今後の方向性を確認します。
幸いなことに首都のヴィエンチャンにはオールウエザートラックがあるようなので、そこでセミナー的な催しを行い選手の発掘に繋げられればと考えています。
また、ラオス在住者、関係者へ国民的にどんなスポーツが向いているかのヒアリングも必要でしょう。
まだまだ、最初の一歩を踏み出したにすぎません。
ですが、現にこの目で見て、感じられたことは非常に大きいです。
当然、物事順調に進むことはないでしょう。
でも、2020東京パラリンピックにラオスの国旗がたなびく姿を見たいと仰った、「ADDP」顧問の言葉が非常に心に響きました。
それ以外でも、まだまだ障害者の立場が弱い東南アジア地域。
世間との接点を持たず家でひっそりと過ごす障害者。
人間としての尊厳の回復。
僕がスポーツを通じて目標を持つことの重要さ、大切さ、を認識できたように、そのことを伝えて自立の一助となれればとも思っています。
ご縁で巡り合えた「ADDP」と「ラオス」。
人生をかけて挑戦するに値すると判断しました。
昨年の雪には難儀しました。
片手での除雪は結構きつい…
さて、本日はウドムサイですが…
ご存じない方が大半でしょうね
ラオス自体、あまりよく知られていないと思いますので…
ラオスの首都はヴィエンチャンです。
今回は、ベトナム航空でハノイ経由でヴィエンチャンに入りました。
ハノイから1時間程度、近いです。
ヴィエンチャンから国内線に乗り換えてウドムサイに、プロペラ機で1時間弱北へ向かいます。
だいぶ田舎です。
とは言え、ライフラインも完備されていて通常の生活は全く問題なし。
道路もだいぶ舗装されていました。
治安も問題なく、早朝の俳諧も不安なく行くことが出来ました。
ただ、朝晩の冷え込みが非常に強かった。
初日の朝は、一けた台の冷え込み。
日本で着ていたライトダウンが大活躍。
まさか東南アジアでダウンを着るとは思ってもみませんでした。
日中は30℃程度まで気温があがります。
盆地で標高700m程度なので、朝は霧が深いです。
10時頃から徐々にはれてきます。
夕焼けより、朝焼け派の僕には少し残念でした。
今回のメインイベントの第2回ラオス全国障害者スポーツ大会。
14の県から、200人程のアスリートが集まりました。
車椅子バスケットボール、ペタンク、バドミントン、シッティングバレーボール、ゴールボール、卓球バレーボール、アキュラシーというフライングディスクのゲームなどデモンストレーション含めて、色々な競技種目がありました。
陸上競技はありませんでした。
良いグランド(サッカー場ですが)あるのにもったいないないなぁーと思ってました。
少し前に行われたラオスの健常者の国体は日本の国体に近かったようです。
なので、今後に十分期待できます。
この後は個人的な感想、意見ですので誤解のないようにお願いします。(うらも取っていません)
まず感じた事は、下肢障害者が多いのですが車いすユーザーが異常に少ないこと。
下肢障害者はポリオの方が多く見受けられました。
この辺はきっと国などの保証がないうえに、国内道路状況でバリアだらけでどんなにゆっくりでも歩けるなら、歩いた方が圧倒的に行動範囲が広いと思われます。
義足ユーザーは僕が見る限り2,3人程度。
(当然、生活用義足です)
上肢障害者は10人弱見受けられました。
切断者がほとんどで、義肢装着者は1人見受けられました。
視覚障害者の方は演目などを担当されていて、最前に立っている感じを受けました。
どの障害が最前かと言うことに関しては、日本の障害者スポーツ(陸上)でもあることで、車いす選手が好成績ならば車いす。
義足ユーザーが好成績なら義足。
視覚障害者が好成績なら視覚という方程式が成り立ちます。
上肢障害者はなかなか前面には出にくいです。
(パッと見で、健常者と区別がつきにくいため)
この辺は、様々な意見があるでしょうが、個人的な意見としてです。
話がそれましたので、話をラオスの全国障害者スポーツ大会に戻します。
大会自体は大変な盛り上がりをみせたと思います。
当然、日本の全国障害者スポーツ大会と比べれば雲泥の差があるのは否めません。
国内の移動手段、障害者の立場、スポーツ環境、当然日本と比べるには無理があります。
だから、悪いと言っているわけではなく、今後に向け課題をクリアしていくのを期待します。
大会運営などに関しては、僕の範囲を超えていますので専門家に任せます。
個人的には、ラオスを陸上大国までは難しいでしょうが、国際試合で決勝に残る選手や2020東京パラリンピックへ選手を送り込むことを目標としています。
その辺を逆算していくと、可能性が大きいのは視覚障害者と上肢障害者です。
車いす、義足に関しては、他の要素もだいぶ絡んできますので…。
とは言うものの、選手の発掘から必要です。
今回の大会参加で、選手のスカウトを2名ですが行いました。
上肢障害者です。
残念ながら、全ての面においてスカウト行為は出来ませんでした。
その辺を踏まえて今後の方向性を確認します。
幸いなことに首都のヴィエンチャンにはオールウエザートラックがあるようなので、そこでセミナー的な催しを行い選手の発掘に繋げられればと考えています。
また、ラオス在住者、関係者へ国民的にどんなスポーツが向いているかのヒアリングも必要でしょう。
まだまだ、最初の一歩を踏み出したにすぎません。
ですが、現にこの目で見て、感じられたことは非常に大きいです。
当然、物事順調に進むことはないでしょう。
でも、2020東京パラリンピックにラオスの国旗がたなびく姿を見たいと仰った、「ADDP」顧問の言葉が非常に心に響きました。
それ以外でも、まだまだ障害者の立場が弱い東南アジア地域。
世間との接点を持たず家でひっそりと過ごす障害者。
人間としての尊厳の回復。
僕がスポーツを通じて目標を持つことの重要さ、大切さ、を認識できたように、そのことを伝えて自立の一助となれればとも思っています。
ご縁で巡り合えた「ADDP」と「ラオス」。
人生をかけて挑戦するに値すると判断しました。
2015年2月3日火曜日
聞くと見るでは
節分です、立春です。
とは言っても、冷蔵庫内の温度と大差ない気候に苦戦している今日この頃です。
行ってきました。
ラオスへ。
表題にもありますが、聞くと見るとでは違いました。
聞くという事も、どこの情報かで大きく差が出るでしょうが…
世界的にみても貧困と言われているラオス。
勉強不足の面も当然ありますが、個人的には貧困など感じませんでした。
確かに外貨を稼ぐなどの面などから見れば違うのかも知れませんが…
とは言っても、当然貧富の差があることは間違いありません。
今回はラオスの一部分を見ただけに過ぎないとは思いますが…
街中に物乞いの姿を見かけませんでした。
また、習慣の違いでしょうが、チップもねだられることも皆無。
観光地などでは写真を撮るとチップをねだられるのが大半でしたから、ある意味新鮮に感じました。
この辺は恐らく、現金収入などは確かに乏しいのかも知れませんが、主に農業が盛んであり、食べる物には不自由しないという状況があると思われます。
聞いていた情報とはだいぶ乖離があるな~と思い、改めて、聞くと、見るでは違うんだな~と再認識しました。
経済成長率が8%程度のラオス、今後、どのように発展していくのかこの目で確かめたいと思います。
あと、今回なぜADDPというNGOがラオスへの支援をここまで行うのか?が分かったことが非常に良かったです。
詳しいことは省きますが、非常に感銘を受け改めてお手伝い出来る事に感謝です。
2020東京パラリンピックでラオスの国旗がたなびくのをこの目で見たいと仰った、顧問の言葉が非常に心に響き、何とか実現したいと新たに強く思いました。
ゆくゆく、ラオスについて書いて行きたいと思います。
写真は現地でお世話になったJICAの方々の夕食会
(JICAについてもゆくゆく書いて行こうと思います)
とは言っても、冷蔵庫内の温度と大差ない気候に苦戦している今日この頃です。
行ってきました。
ラオスへ。
表題にもありますが、聞くと見るとでは違いました。
聞くという事も、どこの情報かで大きく差が出るでしょうが…
世界的にみても貧困と言われているラオス。
勉強不足の面も当然ありますが、個人的には貧困など感じませんでした。
確かに外貨を稼ぐなどの面などから見れば違うのかも知れませんが…
とは言っても、当然貧富の差があることは間違いありません。
今回はラオスの一部分を見ただけに過ぎないとは思いますが…
街中に物乞いの姿を見かけませんでした。
また、習慣の違いでしょうが、チップもねだられることも皆無。
観光地などでは写真を撮るとチップをねだられるのが大半でしたから、ある意味新鮮に感じました。
この辺は恐らく、現金収入などは確かに乏しいのかも知れませんが、主に農業が盛んであり、食べる物には不自由しないという状況があると思われます。
聞いていた情報とはだいぶ乖離があるな~と思い、改めて、聞くと、見るでは違うんだな~と再認識しました。
経済成長率が8%程度のラオス、今後、どのように発展していくのかこの目で確かめたいと思います。
あと、今回なぜADDPというNGOがラオスへの支援をここまで行うのか?が分かったことが非常に良かったです。
詳しいことは省きますが、非常に感銘を受け改めてお手伝い出来る事に感謝です。
2020東京パラリンピックでラオスの国旗がたなびくのをこの目で見たいと仰った、顧問の言葉が非常に心に響き、何とか実現したいと新たに強く思いました。
ゆくゆく、ラオスについて書いて行きたいと思います。
写真は現地でお世話になったJICAの方々の夕食会
(JICAについてもゆくゆく書いて行こうと思います)
2015年1月19日月曜日
クスコ観光
またまた少し空いてしまいました。
加齢と共に記憶も下降傾向なので、必死に思い出しながらの報告です。
なので、金額などは自信がないので、おおらかな気持ちで見ていただjければ幸いです。
高山病もひと段落して、クスコ市内観光へ行こうと思い街へ出ました。
当初の計画は2階建てバスの90分コース。
20ソルだったかな?
でも乗りませんでした。
街を歩いていて、地元の旅行会社の客引きにつかまり内容を確認。
4時間で、35ソルだったかな?
二つの遺跡巡り。
マラス、ラモイ塩田。
遺跡の入場料別途必要でしたが、2階建てのバスの方だと時間が短すぎたので決めました。
モライが70ソルでラマスが10ソル。
結果的には良かったですよ。
当然、僕一人でマイクロバスには見知らぬ方々…
旅の醍醐味ですね。
バス内でも色々とガイドが話してますが…
このマイクロです。
で、バス内
結構走りましたよ。
まるで、インディージョーンズの世界だなと…
未舗装道路などを結構走り、着きました。
結構寒く、一時的ですが、アラレも降ってきました。
モライ塩田?試験場?
モライを後にし…
マラス塩田へ…
道が狭いのにルールなどなし。
思うがままにみんなが突っ込んできます。
なので、全然動けなくなりました。
仕方がないので、そこで降りて歩いて行き観光中にバスは無事駐車場で待機してました。
街中で客引きにあって、行き当たりばったりの観光でしたが、結構良かったです。
遺跡の入場料が高いのにはビックリしましたが、まあ仕方ないです。
前記してますが、金額は定かではありませんので悪しからず…
今回は、行き当たりばったりのクスコ遺跡観光の巻でした。
加齢と共に記憶も下降傾向なので、必死に思い出しながらの報告です。
なので、金額などは自信がないので、おおらかな気持ちで見ていただjければ幸いです。
高山病もひと段落して、クスコ市内観光へ行こうと思い街へ出ました。
当初の計画は2階建てバスの90分コース。
20ソルだったかな?
でも乗りませんでした。
街を歩いていて、地元の旅行会社の客引きにつかまり内容を確認。
4時間で、35ソルだったかな?
二つの遺跡巡り。
マラス、ラモイ塩田。
遺跡の入場料別途必要でしたが、2階建てのバスの方だと時間が短すぎたので決めました。
モライが70ソルでラマスが10ソル。
結果的には良かったですよ。
当然、僕一人でマイクロバスには見知らぬ方々…
旅の醍醐味ですね。
バス内でも色々とガイドが話してますが…
このマイクロです。
で、バス内
結構走りましたよ。
まるで、インディージョーンズの世界だなと…
未舗装道路などを結構走り、着きました。
結構寒く、一時的ですが、アラレも降ってきました。
モライ塩田?試験場?
モライを後にし…
マラス塩田へ…
道が狭いのにルールなどなし。
思うがままにみんなが突っ込んできます。
なので、全然動けなくなりました。
仕方がないので、そこで降りて歩いて行き観光中にバスは無事駐車場で待機してました。
街中で客引きにあって、行き当たりばったりの観光でしたが、結構良かったです。
遺跡の入場料が高いのにはビックリしましたが、まあ仕方ないです。
前記してますが、金額は定かではありませんので悪しからず…
今回は、行き当たりばったりのクスコ遺跡観光の巻でした。
2015年1月14日水曜日
ワイナピチュ
少し更新があきました。
忘れやすいので、出来る限り残したいのはやまやまですが…
曖昧な部分もあり、記憶違いもあるかも知れませんがご勘弁ください。
さて、ワイナピチュについてですが…
大変でした。
全く甘く見ていました。
確かに11月の最終戦から一切身体を動かしていないという状況を勘案してもきつかったです。
僕の場合、荷物が重いという事柄も見逃せませんが…
(こう見えて慎重派なんです)
まず、ワイナピチュへの入り口まで急ぐ必要がありました。
11時まで(11時半かも?)の入山が必須です。(下山も時間指定あり)
入山下山で時間、サインが必要です。
本当に登りは辛く、所々で休み休み登り、息もハーハ。
徐々に高くなるにつれて、景色は素晴らしくなってきます。
何はともあれ、一生に一度は行きたいと言われる場所に行けました。
長文、ザックリですがワイナピチュ編をつらつらと…
忘れやすいので、出来る限り残したいのはやまやまですが…
曖昧な部分もあり、記憶違いもあるかも知れませんがご勘弁ください。
さて、ワイナピチュについてですが…
大変でした。
全く甘く見ていました。
確かに11月の最終戦から一切身体を動かしていないという状況を勘案してもきつかったです。
僕の場合、荷物が重いという事柄も見逃せませんが…
(こう見えて慎重派なんです)
まず、ワイナピチュへの入り口まで急ぐ必要がありました。
11時まで(11時半かも?)の入山が必須です。(下山も時間指定あり)
入山下山で時間、サインが必要です。
確かに、頂上や要所に警備員さんがいて、無線でやり取りしてました。
僕は入る時間も指定時間間際で、下山時間は多少の余裕がありました。
登り道はほぼ階段で非常に辛かったです。
所々に、ワイヤーが張ってあります。
登りより降りの方がワイヤーは必要ですね。
徐々に高くなるにつれて、景色は素晴らしくなってきます。
徐々に登っていよいよ頂上へ!
世界一、訪れるのが困難と言われる世界遺産の一つです。
遺跡を一望する絶景。
適度に雲がかかっていていい感じ♪
左にジグザグの道。
あの道をバスで登ってきたんですね。
と思ったらこの上にまだあるみたい。
ここまできたら登らない理由が見当たりません。
で…驚愕!!
こんな狭いところを通過する必要が…
でも、ここはまだ序の口で、ここを通ると中は少し広いのですが、そこから出るのが非常に狭いんです。
ブラジル人のカップルと一緒になって彼らは諦めかけていました。
なので、僕が見本を見せるべく先に行きました。
でも…すんなりいかず考える羽目に。。。
背負っているリュックが引っ掛かるんです。
リュックを先に送り、自分は後から…
膝をつきながらも何とが脱出。
この様子は必死すぎて写真を撮る余裕なし。
岩場の頂上がそこには…
ただの岩場ですが、れっきとした頂上。
制覇出来ました。
ちょっと頂上らしい写真じゃないですね。
疲労感は出てますが…
そこから少し降りたところに写真ポイントなんでしょうね。
ありました。
図々しく、誰にでもお願いしますよ。
写真をお願いします~と…
いい写真の一つだと自画自賛です♪
当然、登りがきついということは、降りもきついということです。
場所によっては断崖や階段も狭いところも…
でも、何故でしょうか?
みんなは苦戦していましたが、僕は降りはスイスイと…
おかげでだいぶ余裕がありました。
無事に下山できて雨が降ってきました。
ここで雨宿りをしていて、頂上付近の狭いところであったブラジル人カップルとここで再開。
お互いの健闘を称えました。
写真撮ればよかったな~と少し後悔…
その後には翌日改めてくる遺跡を適当に見て回っていました。
あとで分かったことですが、ワイナピチュへの登る人は少ないようです。
確かに年配の方々には少し厳しいかもしれません。
何はともあれ、一生に一度は行きたいと言われる場所に行けました。
長文、ザックリですがワイナピチュ編をつらつらと…
2015年1月9日金曜日
高山病
ご無沙汰しています。
無事にペルーから帰国し時差ボケもなく過ごしております。
徐々に、健忘禄的に書いて行こうと思っています。
まずは表題ですが、高山病です。
全くなめていました。
宿泊先はクスコ。
高地です。3500mの標高。
過去に富士山へ登ったことがあり、高山病とは無縁だったのです。
なので、今回も問題ないだろうと…
リマの空港から少し変でした。
トランジットの待ち時間で食欲がなく、吐き気、頭痛と…
マクドナルドのハンバーガーを半分食べるのがやっとでした。
その後、クスコへ飛行機で移動。
ホテルに着くまではさほど酷くはなかったのですが、着いてしばらくすると…
徐々に酷くなってきました。
吐き気と頭痛。
本当に辛かった。
酷い二日酔いのような感じ。
高山病以外も疑いました。
病院へ行かないとダメかな?とか、マチュピチュは無理かな?このまま帰国できず入院かな?とか、本当に様々なことが脳裏に浮かび、非常に心細かったです。
両替もしていなく、US$しか持っておらず、買い物も出来ず…
無理いってホテルのフロントで、水をUS$で1本売ってもらいそれだけで、丸一日寝ていました。
徐々に回復の兆しが見え始めたものの、食欲は相変わらずない。
SIMカードが欲しかったのと、何か食料、飲料等を確保もしないとの思いで外出。
まずは、両替をアルマス広場の適当なところで。
もうこうなると、レートなんかに気は回りません。
US200$をソルに
その後、ふらふら気味ではあったが、SIM購入しに行ったが、開通せず。
食欲がないので飲料を確保。
ホテルに戻り、飲料でなんとかしのぐ。
徐々にではあるが回復傾向。
夕方くらいに少し食欲が出てきたので、スープを食す。
相変わらず寝起きは非常に体調が悪いが、昼あたりにはだいぶ回復してきた。
食欲も出てきてレストランで食事をするも、半分食べただけ。
翌日にはだいぶ回復して街並みを散策出来るようになった。
その途中で、街中の旅行代理店で4時間コースのバスツアーがあったので参加する。
ここまでくれば完全ではないがほとんど回復。
翌日の、一泊二日のマチュピチュ、ワイナピチュへのアタックも問題なさそうで一安心。
丸一日、高山病でダウンしたお話でした。
写真は高山病とは関係ありませんが、雲海を下にしています。
この程度のところに宿泊していたんです。
無事にペルーから帰国し時差ボケもなく過ごしております。
徐々に、健忘禄的に書いて行こうと思っています。
まずは表題ですが、高山病です。
全くなめていました。
宿泊先はクスコ。
高地です。3500mの標高。
過去に富士山へ登ったことがあり、高山病とは無縁だったのです。
なので、今回も問題ないだろうと…
リマの空港から少し変でした。
トランジットの待ち時間で食欲がなく、吐き気、頭痛と…
マクドナルドのハンバーガーを半分食べるのがやっとでした。
その後、クスコへ飛行機で移動。
ホテルに着くまではさほど酷くはなかったのですが、着いてしばらくすると…
徐々に酷くなってきました。
吐き気と頭痛。
本当に辛かった。
酷い二日酔いのような感じ。
高山病以外も疑いました。
病院へ行かないとダメかな?とか、マチュピチュは無理かな?このまま帰国できず入院かな?とか、本当に様々なことが脳裏に浮かび、非常に心細かったです。
両替もしていなく、US$しか持っておらず、買い物も出来ず…
無理いってホテルのフロントで、水をUS$で1本売ってもらいそれだけで、丸一日寝ていました。
徐々に回復の兆しが見え始めたものの、食欲は相変わらずない。
SIMカードが欲しかったのと、何か食料、飲料等を確保もしないとの思いで外出。
まずは、両替をアルマス広場の適当なところで。
もうこうなると、レートなんかに気は回りません。
US200$をソルに
その後、ふらふら気味ではあったが、SIM購入しに行ったが、開通せず。
食欲がないので飲料を確保。
ホテルに戻り、飲料でなんとかしのぐ。
徐々にではあるが回復傾向。
夕方くらいに少し食欲が出てきたので、スープを食す。
相変わらず寝起きは非常に体調が悪いが、昼あたりにはだいぶ回復してきた。
食欲も出てきてレストランで食事をするも、半分食べただけ。
翌日にはだいぶ回復して街並みを散策出来るようになった。
その途中で、街中の旅行代理店で4時間コースのバスツアーがあったので参加する。
ここまでくれば完全ではないがほとんど回復。
翌日の、一泊二日のマチュピチュ、ワイナピチュへのアタックも問題なさそうで一安心。
丸一日、高山病でダウンしたお話でした。
写真は高山病とは関係ありませんが、雲海を下にしています。
この程度のところに宿泊していたんです。
↑
雲に隠れていますが、頭のあたりに6000m級のアンデス山脈があります。
↓
こちらは少し低いですが街並みが見える絶景でした。
2015年1月1日木曜日
2015
新年明けましておめでとうございます。
僕は今、ペルーはマチュピチュへ来ています。
オリャンタイタンボ駅周辺に一泊で、昨日はワイナピチュを制覇して来ました。
現地時間は1日の6:10amです。
簡単ですが、現地からの新年のご挨拶です。
今年もよろしくお願いいたします。
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