2013年8月23日金曜日

die

まだまだ暑い日が続いております。

個人的は東京電力は全く信用ができません。
事故は起こらない、という前提なので対処方法がないのでしょう。

自分たちにとって最良の可能性を誇示し、最悪の可能性は低く見積もる。
安全神話を作って信じた所も問題でしょうが…。

現場で作業にあたっている人も東京電力の方々というジレンマも当然ありますが…。


話題はかわり…。
南直哉さんと言う方がいて、個人的にはとても好きな僧侶である。

詳しいことはよく覚えていませんが、死に対する考え方、見方を仰っていたことがあり
当時は、ふ~ん、位にしか感じなかったのですが…

ここへきて、どういう訳でしょうか?なんとなく理解できたというか、
当然、南さんの仰っていることが理解できたということではなく、
何となく、こんなことを言っているんだろうな~程度ですが…

先日、花火大会で亡くなった方がいる。
非常に理不尽で、無情感を感じた。

昨日、女性の歌手の方が亡くなった。

誤解を恐れずに言うと…
両方の方々は亡くなったことは事実である。

だが、僕自身には何も変わらない。

全くの他人であるし、面識も一切ない。
でも、理不尽さとか、無情感とかは起き上がる。

近しい人が亡くなれば、もっと違う感情になることは容易に想像がつくが…
近しい人なら、肉体はそこにあったものが無くなる。
存在が無くなる訳だが、記憶の中には永遠に残る。

触れることは出来ないかもしれないし、話す事も出来ない。
と言っても、記憶の中にいれば話す事は出来る気がする。

離れて暮らす家族が亡くなるとどうだろうか?
良い悪いはさて置いて、離れて暮らしていて、電話もしない場合。

近しい人であることは間違いない。
でも、実際に会ってはいない。

その人が亡くなったら…。
何がどう変わるのだろう?

何も変わらない気がする。

繰り返すが、離れている事が良い悪いことはここでは問題にしない。

上手く言えないが、ここ最近、理不尽、不条理、無情感な出来事が多く感じられる。

死ぬ事は避けられない事。
だが死ぬ事は、形が無くなるだけのこと。

何だか上手く言えませんが…





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